koeiブラジル通信
koei ブラジル通信

■胸に手を当てて

18年ぶりのブラジルであるが、この間にいちばん変わってほしかったものが実はある。交通マナー? いいえ。大気汚染? これも否。治安? 残念ながらこれでもない。なんだとお思いだろうか。…それは、トイレの紙??? 紙質ではない。紙のゆくえ、である。

およそ想像もつかないであろうが、こちらでは、トイレットペーバーであっても、用済みの紙は便器に流してはならない。では、どうするか。脇においてある容器に入れるのだ。で、いっぱいになったら、ふつうのゴミとして出す。最近の異常とも思える清潔志向のニッポン人には、卒倒しそうな習慣だろう。

慣れれば気にならなくなる? 慣れるしかない!

「悪臭」、いや「悪習」であることはまちがいない。それが一向に改善されないところにブラジルの悩みがある。18年でも変わらなかったのだ。下水道の技術が低いわけではない。上質の紙も出回っている。工業力(ハード)の問題ではない。ソフト、つまり人々の心がけ、意識、いわば「民度」の問題である。

条件はととのっている。にもかかわらず、徹底されない。汚物のみ、それ以外は流してはならないと、いくら繰り返し叫んでも遵守されないということは、「教育の問題」に突き当たる。

ブラジルは経済格差が大きい。教育格差も負けていない。教師のなり手がすくないうえに、優秀な人材が集まらない。理由は単純明快、給料が安いからで、やはり経済格差が背景にある。

ゴミの分別も似ている。わたしが住んでいるアパートは、ゴミの分別が義務付けられている。集荷場所に生ゴミと、リサイクル可能なゴミの二つの容器がおいてある。住人たちの意識はたかい。ちゃんと守られているようだ。が、町ではあまりみかけない。レストランでも店でもカゴはひとつ。分けるようにはなっていない。だいいち、通りのあちこちにゴミ袋が散乱し、なにもかもいっしょくたに捨てているのが一目瞭然。分別のかけらもない。意識の格差、実行力の格差もまた甚だしいのである。

といって、エラソーなことはいえない。わが胸に手をあてて考えると、みるみる顔が赤らんでくる。トイレのことである。ブラジル式紙の処理、これには抵抗感はない。サイワイこちらは山登り40年、「雉(きじ)撃ち」の経験はすこぶる豊富である。使用後の始末など手慣れたものだ。

その山でも最近、環境汚染がいわれはじめた。排泄したものは、たとえ山中でもそのまま打ち捨ててはならないという。従来のその場で土をかぶせるだけの後始末では不十分である。それぐらいならケモノでもやっている。われわれはニンゲンなのだ。里まで「お持ち帰り」しなければ高等動物とはいえない。頭で分かっていても、さすがにこれには躊躇をおぼえる。専用の容器があるというが、試したこともない。

意識が低い、実行力に乏しい、ということは「教育の問題」に突き当たる。ブラジル式をウンヌンする権利も資格もないのである。

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