今 週 の レ シ ピ

・お弁当にも使えるメニューです。

●豚肉のロールフライ  250kcal. 塩分0.8g(カロリー、塩分とも付け合わせは入っていません)

豚肉のロールフライ [材料]  -4人分-

・豚ロースの薄切り150g(8枚)
 ◎A
   塩少々
   胡椒(こしょう)少々
・ニンジン50g
・キノコ1/3パック(30g)
・ピーマン2個
・サラダ油小さじ1
 ◎B
   塩少々
   胡椒(こしょう)少々
・小麦粉・卵・パン粉
・揚げ油
◎付け合わせ
  キャベツのせん切り
  トマト、パセリ

[作り方]

  1. 豚肉は1枚ずつ広げて、Aで下味をつける。
  2. ニンジン、キノコ、ピーマンはせん切りにし、サラダ油で炒め、Bで下味をつけ、冷ます。
  3. 1の豚肉に2をのせて巻き、小麦粉・卵・パン粉の順につける。
  4. 揚げ油170℃位で、色よく揚げる。
  5. 4を適当に切り、皿に盛り、付け合わせの野菜を添える。
ポイントはここ
  • 豚肉はロース肉のほか、好みでモモ肉、肩肉などの薄切りを用意してください。薄切りが小さいときは、2〜3枚重ねるようにして10〜12cm×5〜6cmの大きさにしてください。 肉たたきで叩く
  • 少し厚みがあるときは、肉たたきで伸ばしてください。
  • 中に巻き込むキノコは生椎茸(なましいたけ)、エノキダケ、シメジ、エリンギなど好みでどうぞ。ニンジンのせん切りと同じくらいに切って用意します。
  • ピーマンのかわりには、さやいんげん、さやえんどうなどの青みを使ってください。
  • しっかり巻いて、両端から中身が出ないようにします。

    野菜をのせる きっちり巻く

  • 小麦粉は丁寧にうっすらと、卵はまんべんなくつけ、パン粉は手でにぎるようにしながらつけます。
  • パン粉をつけてから、10〜15分おいて、油で揚げます。170℃くらいで転がしながら、均一に色がつくように揚げます。
  • 付け合わせは、いろいろ工夫してください。キャベツのせん切り、トマトのほかにブロッコリーやグリンピースのソテー、フライドポテト、マッシュポテトなどをいろいろに組み合わせたり、セロリ、キュウリ、サラダ菜などのサラダを盛り合わせてもよいでしょう。
  • 食べるときかけるソースは、ウスターソース、とんかつソース、トマトケチャップなどをそのまま、または混ぜ合わせてかけてください。好みによっては、醤油(しょうゆ)、マヨネーズソースもどうぞ。
ちょっと一言
  • 我が家では、夕食に「生姜(しょうが)焼き」をすると、次の日の弁当のおかずはこの「ロールフライ」。豚肉を生のまま残しておきます。生姜焼きにはたっぷりと野菜のソテーを添えますので、その中からやはり少し残します。
    夕食のあと、肉に野菜を巻いて、パン粉までつけて冷蔵庫へ。朝、それを揚げて、弁当へ。

    パン粉までつけて冷蔵庫へ お弁当にどうぞ

【野口料理学園】
塩 ひ と つ ま み

■一途な時代

卒業した小学校が閉校となりました。明治9年創立された由緒ある学校でしたが、近くにある他の2校と統合することになり、128年の歴史に幕を下ろしました。残念でなりません。これも、時代の趨勢とあきらめるほかなさそうです。

県庁所在地・甲府も、ご多分にもれず、ドーナツ化現象がすすんで中心地の人口が減少、少子化傾向とあいまって児童の数がめっきり減ってしまいました。隣り合った地域の3校が合併することによって、とうとう閉校のときをむかえたのです。

わたしたち団塊の世代は、ひとクラスに50人以上がひしめいて5組もありました。入学は昭和30年、戦後の食糧難がまだまだ尾を引いていて、栄養が充分ゆきわたらなかった頃です。学校給食は、甲府では昭和22年からスタート、わたしたちの小学校にも26年に給食室が完成し、自校給食がはじまっていました。

アルマイトの食器に、最初はコッペパンと脱脂粉乳のミルクだけ。それから、鯨肉の竜田揚げやポテトサラダが加わるようになりました。コッペパンとミルクの不味さ、とりわけその硬さと油臭さ(脱脂粉乳だというのに)は、今もって語り草です。でも、選択の余地はありません。お腹いっぱい食べられるのがなによりでした。パンは1個だけですが、ミルクはお替りできましたから。

近所にパン屋さんがありました。じつはそのパン屋さんが焼いていました。だから不思議でした。おなじパンなのにどうしてこうも味がちがうのかって。2年下の弟は、この学校のパンが食べられません、いえ、食べようとしません。味に敏感だったのでしょう。食が細く、ガリガリに痩せていました。わたしはといえば対照的に、転がったほうが速いといわれるほど太っていました。

さて、残すと先生に叱られます。捨てるなどもってのほか。無理をしてでも食べさせられました。今なら体罰でしょう。親が飛んでくるところです。弟は、うまく誤魔化してコッペパンを机の中に隠していました。ところが、見つかる心配があったのか、処置に困って、ランドセルの底にギューギュー詰めに押し込んで家に持ち帰るようになりました。

持って帰ったところでおやつに食べるわけでなく、かといって親に見つかると、これもまたお目玉をくらいます。そしてあるとき、とうとうランドセルの教科書の下からつぶれたコッペパンが何個も見つかって、こっぴどく叱られてしまいました。それほど不味くて硬かったのです。不味いはずです。この米国産の小麦粉は、家畜の飼料用だったのです。

鯨の肉は、今からすれば「なんともゼイタクな」と思われるかもしれません。捕鯨国日本が南氷洋でさかんに獲っていました。安く手に入って、一般の家庭の食卓にもよくのぼりました。牛肉・豚肉は高嶺の花です。

こんなことがありました。たしか4年生のときです。朝の授業から、お腹の具合が悪いと何人も訴えます。そのつど先生は子どもたちを家に帰しました。気がつくと、クラスは半分に減っていました。教室だけではありません。全校がそうでした。

食中毒が発生したのです。大騒ぎになりました。原因は前日の鯨肉の唐揚げ。火の通りが悪かったようです。新聞にも載りました。以後3日間は臨時休校です。さいわい重病者はでませんでした。わたしも弟もなんともなく、わたしなどおいしくてパクパク食べました。そのうえ降ってわいた休みがプラスアルファされ、とても儲かったような気がしたものです。

給食は1,000食以上つくっていました。パンにウドンという取り合わせも変に思いませんでした。卒業するころは、食パンもでるようになりました。給食にどんなものを食べているか、今で言う試食会などおこなう余裕はありません。大人も子どもも食べるだけで精一杯、将来の経済発展と生活向上をひたすら信じて疑わない“一途な時代”でした。


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