今 週 の レ シ ピ

・アドヴァンスクラス(10月第2週)のメニューより

●わたしのチャンポン

わたしのチャンポン [材料]  -6人分-

・中華麺(ちゅうかめん)6玉
・豚肉150g
・イカ1尾
・もやし200g
・白菜2枚
<チャンポンのスープ>
  出し汁8カップ
 ◎A
   塩小さじ1
   醤油大さじ6
   酒大さじ2
   胡椒少々
 ◎B
   片栗粉大さじ2
   水大さじ2

[作り方]

  1. 豚肉は一口大に切る。
  2. イカは皮をむき、胴は「 松笠切り」(「イカと白菜の炒め物」参照) にし、4cm角に切る。足は長さ4cmくらいに切る。熱湯でサッとゆで、ゆで汁はとっておく。
  3. もやしはサッとゆでる。
  4. 白菜は4cm長さの短冊に切る。
  5. 中華鍋に油を熱し、豚肉を炒め、もやしと白菜を加えてさらに炒める。出し汁を加え、Aで調味し、Bでとろみをつける。
  6. たっぷりの湯で中華麺(ちゅうかめん)をゆでて、丼(どんぶり)に入れ、熱々のスープを加え、イカをのせて仕上げる。
ポイントはここ
  • 豚肉は、肩、モモ、三枚肉などの混ざったこま切れ肉で充分です。
  • イカのゆで汁は、出し汁の中に加えます。湯は1カップ位用意してゆでてください。濃いイカの味が、出し汁に加わります。ゆでたイカは即、冷水にとり、熱が取れたら水から出します。
  • 本格的に「チャンポン用出し汁」を作る方法

    出し汁の材料  [材料]  -7〜8カップ分-
    ・水15カップ
    ・鶏のガラ1羽分
    ・鶏胸肉100〜150g
    ・煮干(にぼし)10尾
    ・昆布10cm
    ・鰹節(かつおぶし)20g
    ・干し椎茸の茎5〜6本
    ・日本葱(にほんねぎ)1本
    ・生姜(しょうが)1片

     [作り方]  

       
    1. 鶏ガラは水洗いをし、熱湯でサッとゆで、もう一度水でよく洗って内臓の残りや脂肪などをとりのぞく。  
    2. 日本葱、生姜は、包丁でたたいて軽くつぶす。  
    3. 鍋に水と材料を入れて強火にかけ、沸騰直前に弱火にし、アクをとりながら2時間くらい煮る。  
    4. 二重にした布巾(ふきん)で、こす。  

    鶏ガラをゆでる 水と材料 アクをとる 出来上がり

  • チャンポン(中華そば)はスープ、具、それに盛り付けの器を用意してから麺をゆでます。盛り付けの器に、熱々のスープを1/2カップ分くらい注ぎ、ゆでた麺を入れ、さらに1カップ分くらいスープを注ぎます。イカをのせて出来上がりです。

    スープに麺 さらにスープ 仕上げにイカ

ちょっと一言
  • 「チャンポン」は長崎の名物料理。日中の料理法が混ざり合った麺料理です。スープの素は鶏ガラ、豚骨に加えて、昆布、鰹節など好みで決めます。麺に特徴があり、「チャンポン玉」といいます。
    さまざまな味を混ぜ合わせて、自分の「チャンポン」を見つけてみませんか。ここには、わたしが家族のためにいつも作る「味」を書きました。是非、「我が家のチャンポン」を工夫してみてください。
【野口料理学園】

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塩 ひ と つ ま み

■食の底ぢから

NHKの放送80周年を記念した番組『ハルとナツ―届かなかった手紙』が、先週5夜連続で放映されました。3年後にせまったブラジルの日本人移住100周年にちなんでもいるようです。私も20年ほど前、4度ほどブラジルを訪れています。そのとき、いくつか日本人の移住地を見たり、じっさいに複数の移住者の方々から何度か開拓当時の話を聞いたりしたことがあり、こんどのドラマもとても興味深く見ることができました。それについて話してみましょう。

さすがは一流の脚本家です。ブラジルへ移住する一家の姉妹を、トラホームという疾患で渡航寸前に日本とブラジルに引き裂き、70年もの長いあいだ音信不通にしました。じつは2人はお互いの境遇をせっせと手紙にしたため書き送っていたのですが、届いてはいなかった。ブラジル側では一家が急遽引っ越ししたため、日本では意地悪なおばさんのせいで、ともに受け取ることができなかったという設定です。

巧みなストーリーの組み立てには感心しました。ただし、日本側の事情はわかるとしても、ブラジルに詳しい主人にいわせると、駅に留まっていた手紙が出てきたという設定は、ありえないことではないにしてもかなり無理があるとかで、ドラマとはいえ、作り話臭い(?)と不満の様子でした。

コーヒー園に入ってしばらくして、一家の長男がマラリアで亡くなります。過酷な労働がたたったのですが、遠因は食事にありました。来る日も来る日もおなじフェイジョン豆の食べ物に馴染めず、体力を消耗してマラリアにつけいるスキを与えたのです。カロリーの高いこの豆料理を食べてさえいれば、きっと農園の重労働にも耐えられたでしょう。拒絶反応を示さなかった長男以外の家族は、持ちこたえました。ブラジル食を受け付けないのは、自殺行為に等しいといえるかもしれません。

見方をかえれば、ブラジルにフェイジョン豆があったから日本人は定住できた、といえなくもありません。フェイジョン豆はご飯にかけて食べます。ご飯といっても、長粒種(陸稲)を油で炒めたもので、やわらかくふっくらしたほかほかの日本のご飯とはちがいますが、お米はお米です。私も、ブラジル人がこれほどご飯を食べる国民だとは思ってもいませんでした。行ってびっくりです。移住者にとって、お米の存在がどれほど心強くありがたかったことでしょう。

他郷で生きていく上で、そこの土地の食べ物を受け入れるか否かは重要なポイントです。生命にかかわります。ましで外国の地となれば、生れて初めて口にする食べ物がたくさんあります。とくに農園という隔離された状況では、好き嫌いはいっていられません。いくら若くて頑丈な人でも、食べないことには健康を維持できないのです。

人間にとって、衣と住は捨てられても、食の習慣はそう簡単には変えられません。ある程度ある期間は辛抱できても、すこしでも可能性があれば、身についた習慣をなんとか取りもどそうと工夫し努力するものです。ドラマにもあったように、農園の重労働のあいまをぬって、わずかな時間、わずかの土地を利用して野菜や米の間作に必死に励みました。それが70年たった今日でも、主人公一家の食事の中心は日本食で通しているのがわかります。

向こうの人たちの食卓をみると、肉、野菜、フルーツなどの豊かさはもちろん、日本食の豊富なことはおどろくばかりです。それもほとんどがブラジル産です。開拓当初から、経済(換金)作物とはべつに、故国へのあこがれから自家消費用にたくさんの日本食品を作り上げてきました。それは遠い日本にたいする計り知れない郷愁(精神的な要求)であると同時に、肉と豆だけでは満たされない体質的な要求でもあったのでしょう。人間の食(味覚嗜好)のしぶとさ(底ぢから)を思い知りました。


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