今 週 の レ シ ピ

・アドバンスクラス(7月第2週)のメニューより

●ツナのおろし和(あ)え    47kcal. 塩分0.8g

ツナのおろし和(あ)え [材料]  -6人分-

・大根300g
・ツナ缶小1缶(80g)
・エノキダケ100g(1パック)
・貝割れ大根50g(1パック)
・削りパック2パック(10g)
・醤油(しょうゆ)大さじ1
・赤いピーマン少々

[作り方]

    ツナのおろし和えの材料
  1. 大根は皮をむき、おろして、自然に水を切る。
  2. エノキダケは根元を切り、長さを二等分に切る。熱湯でさっと茹(ゆ)で、水に取り、水気を切る。
  3. 貝割れ大根は根元を切り、長さを二等分に切る。
  4. ボールで、1、2、3と、缶から出したツナ、削り鰹節を混ぜ合わせ、醤油で味付けをする。

    ボールで材料を合わせる 醤油で味付けする

  5. 赤いピーマンの種を取り、さっと茹で、2cm長さくらいのせん切りにする。
  6. 小鉢に4を盛り、5を天盛(てんも)りにする。
ポイントはここ
  • 大根は、その部位によって味がちがいます。甘味のあるおろしは上部の方、辛味のあるのが好みでしたら根に近い方をおろしてください。どちらの場合も、大根の繊維を切るように、長さに直角におろしてください。
  • 大根おろしの余分な水分は、すだれのうえにのせ、自然に落ちる分だけを切ってください。

    繊維に直角におろす すだれの上で水気を切る

  • サラダ油漬けのツナ缶の油は、そのまま大根おろしに加えてみてください。いろいろな食材がいっしょですから、油っぽさは気にならないと思います。逆に、味に油が深みを加えてくれるように感じます。
  • エノキダケと貝割れ大根は根を切って、長さを半分に切ります。大根おろしで和えて食べるのに、ちょうど良い長さだと思います。
  • 削りパックは、「鰹節」のものを選んでください。「カツオ」を削ったものもあります。「鰹節」を確認してください。風味が違うはずです。
  • 天盛りは、他に紅生姜(べにしょうが)、パプリカ、ラディッシュなど、ちょっと赤くて辛味もちょっとあるものがいいように思います。
ちょっと一言
  • 大根おろしにツナを混ぜ、削りパックと醤油で味付けした和え衣をつかって、野菜やきのこをいろいろ組み合わせて新しい味わいを考えてください。
【野口料理学園】
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塩 ひ と つ ま み

■名人芸

私も、父の料理について話しましょう。 父は、姉の一人が秩父市の料亭に嫁いでいた関係で、そこから熊谷中学(旧制)に通っていました。そこで日本料理の舌を磨いたようです。だから、味にはとてもうるさい人間でした。

結婚当初、母は、父の細やかな味覚にびっくりしたそうです。それでいて大の酒飲みでしたから、酒の肴にたいしても質・量ともに要求度は高かった。必死にこれにこたえようと母が精進した結果、料理学校の開設につながったともいえるのです。

母親顔負けの鋭い舌をもつ父でしたが、料理は大胆というか、男性特有(?)の大まかなものでした。十八番(おはこ)は三つ。「そばがき」に「焼きむすび」、それに「すいとん」でした。

おいしいそば粉が手に入ると、早速お湯をわかし、「そばがき」作りにとりかかります。まず、丼に熱湯を入れてよく温めます。そこへそば粉を入れて熱湯をそそぎ、ものすごい勢いでかき混ぜます。父ならではの力強さでした。それを、小皿におとした醤油にちょっとつけ、熱いうちに食べるのです。

「そば粉」、「熱湯」、「かき混ぜる速度」が三位一体となっておいしい「そばがき」ができ上がりますが、とくにかき混ぜるスピードとタイミングは絶妙で、運動神経抜群、体育教師だった父のほかは誰がやってもかないませんでした。

「焼きむすび」は、受験勉強に一所懸命だった私や弟のため(夜食用)に握ってくれました。父が作ると、焼き網に御飯粒がつきません。そのコツは、焼き網が真っ赤になるまでよく熱し、そこへおむすびをおき、こげるのも気にせず強火のまま焼きます。もう片方も焼き付けたら火を細くして中を温め、さいごに醤油で味付けをします。これは、私もおなじようにつくれるようになりました。

「すいとん」は大雑把の極みでした。分量はまったくの目分量、言うところのどんぶり勘定です。ボールに小麦粉と水を入れ、“ちょっと粉が多かったかな”と水を足し、“うーん、こんどは水が多すぎた”と粉を足す。自分の気に入った硬さになるまでこれを繰り返すので、最初の量の何倍にもなってしまうことがしばしばでした。作るたびに、ハラハラさせられ、父がいったん「すいとん」を作ると、2〜3日は続けて食卓にでてきたものです。

さて、練った小麦粉を、時間をかけて丁寧に指先で薄くのばし、野菜を煮ている出汁(だし)の中に入れて火を通し、醤油で味付けして仕上げます。じつはこの工程にヒミツがありました。小麦粉の練り方はたしかにゴウカイですが、薄くのばすときの指先の動きはいたって繊細です。名人芸ともいえました。これだけは私はおろか、母にさえ手を出させません。この指先の器用さは、父のもうひとつの特技である「編み物」と相通じるところがありました。

父は、私たちが着るセーターから手袋、マフラー、靴下のはてまで、ぜんぶ手編みで作ってくれました。色といい模様といいそれは見事で、立派に「商品」として通用するほどの本格的なものでした。いったいどこでこれをマスターしたかというと―――

父は陸軍大尉でした。タイの泰緬鉄道の敷設工事に関係していました。大尉には当番兵がつきます。その人は千葉の網元の息子さんで、魚網を編む独特の手法で編み物の達人でした。その人から教えてもらったのだそうです。

敗戦で一転、父はシンガポールの刑務所に入れられました。命拾いして帰還となり、帰国船の船中ですることがないからと、敵兵からもらった靴下をほぐして腹巻を編みました。南方から冬の日本に帰るのです、衰弱した身体の足しになればと思ったのでしょう。その通り、上陸した福岡は雪が降っていました。その腹巻をあてていたおかげで、風邪も引かず病気にならずにすんだということです――。

大胆と慎重、豪快にして繊細が父という人間の特徴であり、魅力でした。1歳上で、先日97歳で亡くなった義父とはともに明治人、盃を交わすことのなかった(父は72歳で鬼籍に入っています)のが、残念でなりません。


§【ご意見、ご感想をお寄せください。ご質問もどうぞ。】 ichiban@kateiryouri.com


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