今週のレシピ


・ブライダルクラス(11月第3週)のメニューより

● けんちん汁 ●   124kcal. 塩分0.9g

けんちん汁の写真 [材料]  -6人分-

◎出汁(だし)
  豚こま切れ肉100g
  水5カップ
◎A
  人参(にんじん)50g
  大根50g
  ごぼう50g
  さつまいも100g
◎B
  豆腐1/2丁(200〜250g)
  日本葱細いもの1本
・味噌80〜90g
・柚子(ゆず)少々

  [作り方]

  1. 人参・大根…皮をむいて、銀杏(いちょう)切りにする。
    ごぼう…笹がきにして水に入れ、アクをとる。
    さつまいも…1.5 a位の角切りにし、水を3〜4回取りかえてアクをとる。
    豆腐…1aの角切りにする。
    日本葱…1aのぶつ切りにする。
  2. 鍋に水と豚肉を入れ、火にかけ、肉から出汁が出るまで煮て、アクをとる。
  3. 用意したAを2の出汁に加え、やわらかくなったら味噌を加えて、2〜3分煮る。
  4. 最後にBを加え、仕上げる。
  5. 椀に盛り、吸口として柚子のせん切りを散らす。

ポイントはここ


ちょっと一言

  • 「けんちん汁」の「けんちん(巻繊)」って、何かわかりますか? 豚肉で出汁をとっているので、「豚汁」と同じものと思われがちですが…
    「けんちん」とは、豆腐を主にして人参・筍・きくらげ・椎茸・ごぼうなどを合わせたものを「けんちん地」といい、これで作ったものをいいます。けんちん汁、けんちん蒸し、けんちん焼きなどがあります。ですから「けんちん汁」には、かならず豆腐と野菜(特に人参、ごぼう、椎茸など)が入ります。
  • けんちん汁の味付けは「醤油仕立て」とよくいわれますが、地方により「味噌仕立て」もあります。我が家は「味噌仕立て」です。
    私はけんちん汁の授業のときは、かならず生徒さんに「みなさんの家のけんちん汁は、醤油あじですか味噌あじですか」と聞きます。味噌あじがほとんどです。醤油あじと答えた人に、両親あるいは祖父母の出身地を聞いてみますと、これもほとんどが山梨県以外の「他県出身者」。といって山梨出身でも「醤油あじ」もあり、地方によるちがいは明白ですが、少数派ながら食べる人の好みもあるのがわかります。
  • ここに掲載した具のほかに、次のようなものもおいしいです。油揚げ、こんにゃく、キノコ類、じゃがいも、里芋、さやえんどうなど。

もう、ちょっと一言

  • 寒さが増してきました。いよいよ「受験勉強」も追込みの時期です。風邪をひいて体調をくずしたら努力も無駄になってしまいます。
    ガンバッテいる受験生に、「けんちん汁」の夜食はいかがですか? そうはいっても、いろいろな野菜をとりそろえて下準備をするのは大変ですよネ。そんなとき、冷凍食品のけんちん汁の野菜を使うと、とても便利です。

●冷凍野菜を使ったけんちん汁 

夜食の写真 冷凍野菜の写真 [材料] -2〜3人分-

豚肉または鶏肉50g
2カップ
けんちん汁用冷凍野菜100g
豆腐1/4丁(100〜150g)
日本葱細いもの15a位
味噌30〜40g

[作り方]

  1. 鍋に水と肉を加え、沸騰直前にアクをとる。
  2. 凍ったままのけんちん汁用冷凍野菜を加え、沸騰したら弱火で5〜6分煮る。
  3. 出汁でといた味噌を加え、さらに5〜6分煮る。
  4. 1a角切り豆腐と1aのぶつ切り日本葱を加えて、仕上げる。
    アツアツの「けんちん汁」と「おにぎり」「つけもの」で「けんちん汁定食」にしてあげてください。

≪組み合わせメニュー≫

    ◎カレイの煮付け
    ◎クラゲと野菜の和(あ)え物

【野口料理学園】

塩ひとつまみ


■味わう人生 (その6)

―料理教室発展への道―

 ・柊 会

昭和三十四年十月、味の素、キッコーマン、宝酒造、キューピーマヨネーズ等食品十社の協賛による工場見学を主とした研修会が行われる事になりました。各地方新聞社の後援ということで各県一名ずつ新聞社の料理講師をしている者が選ばれて東京駅の八重洲口に集合しました。一週間家を留守にするということは、主人や二人の子供をかかえておりますその頃の私にとっては大変な事でした。家族会議をしました所、父と主人が迷う私を力づけるように「料理学校を経営して行くには、本当に良い研究のチャンスである」といってくれましたので、心置きなく一団に加えて頂く事が出来ました。
全く顔も知らないメンバーが東京駅八重洲口から用意されてあったバスに乗り、まず千葉の野田の醤油工場に向いました。旅馴れぬ私はバスに酔うという理由で一番前の席を御願いしてありました所、同じ理由で北海道の南部先生と隣り合わせました。それが御縁で今でも姉妹のように親しくさせて頂いております。(偶然にも二人の主人が熊谷中学の同級生でありましたのでその後主人も一緒に札幌の先生の学校にも伺った程です。)
味の素の川崎工場、キューピーマヨネーズ工場で機械力による生産工程やオートメーション化された工場の様子に感動し、ただただ珍しさで一杯。色々な意味で良い勉強になりました。カレー粉の工場で何種類もの香辛料がミックスされ、見上げるような大きな樽の中に詰められ、半年も醗酵を待ってカレー粉が出来る事などを知り、これから料理を教えていく上に大きな自信を持たせて頂きました。夜は築地のホテルに宿泊し、朝四時起きで築地の市場見学にも行き、日本の食糧事情の源にふれ、これまた感激でした。
その頃「ベンハー」がテアトル東京で上映されており、皆で見に行きました事も強い印象として残っています。
夕食スイス料理のフォンジュに舌つづみを打ち、SBサンパウドでのカレー料理中心のディナー等も忘れがたい味わいの一つです。
東京駅から列車一車両貸し切っての京都までの旅も楽しいものでした。車中でお互いに紹介し合い、メーカーの方々ともお親しくお話が出来ました。京都では宝酒造を見学させて頂きました。みりん作りの工場の様子は今でも良く覚えております。
京都の宿は柊屋でした。最後の夜、余りに素晴らしかった研修の旅に感動し、このまま別れがたい気持ちが、三十三名の誰にもありました。誰言うとはなく各県代表者のこのメンバーで、研究会を持ちたいと決心しました。
名前もずばり柊会。会長は一番年長静岡の沢本先生ということに決定し、ここに料理研究会「柊会」は誕生しました。柊会と名づけての第一回研修会は四国の高知でした。高原先生の御心遣いと高知新聞社の御協力により楽しい旅を行い、高知の豪快な皿鉢料理も勉強出来ました。
生れて初めての遠い一人旅、非常に心細い気持ちでした。宇高連絡線に乗った時、沢本先生と中川先生と御一緒になれました。そこから高知までは安心感を持った旅が出来ました。

≪ 野口富子『味わう人生』(昭和62年上梓)≫より


【私からのコメント】

母の料理人生を語るうえで、また私がなぜこの道を選び、今日まで続けているかをお話するとしたら、「柊会」(ひいらぎかい)抜きでは始められない、それほど私たち母娘の人生に大きな影響を与えた会でした。残念ながら同会は、今年の2月をもって解散しました。33名(のちに数名加わりましたが)の会員のうち、私が知る限りでも、母を含めて12名が他界、退会された方も数名…。何年か前、私のように後を継いでいる者同士で「二世の会」をとのお話もありましたが、結成当時とちがい、経営体制が栄養大学・調理師学校のように専門家を育てる学校と、家庭料理中心の料理学校とに分かれてしまいましたので、その会は成立を見ませんでした。
昭和30年代、新聞社主催の料理講習会は年を追うごとに盛んになり、料理学校の存在も少しずつ世の中に認められるようになっていきました。その頃です、山梨日日新聞社の窪田樫良翁(かしろう)様にご推薦いただき、母は「電通」の企画した「食品十社見学研修ツアー」にでかけていきました。母のいない1週間というもの、途中から九州の国体へ父もでかけて数日は祖父と弟と3人、留守番でした。でも私には、母が日帰りで東京に勉強に行っていた幼稚園の頃の方が淋しかったように思います。
帰宅した母が次から次、喜々として話してくれるさまざまな体験は、どれをとっても子供心(小学5年)に強烈な印象を与えるものでした。特にマヨネーズ工場で、卵黄が機械でマヨネーズになり、残った卵白は工場内の溝を通って隣接する接着剤の工場へと運ばれていく(そう母は言っていました)といった完全にオートメ化された生産工程の話は、まるで狐につままれたような想いで聞いていました。
母は一方で大の映画ファンでした。「テアトル東京」(京橋にありましたが、今は別の劇場になっています)で「ベンハー」を観た話、スクリーンの長大なことや度肝を抜く音響設備のすばらしさを語る母に、料理とは別の顔を見る気がしました。
柊会への参加は、本当に母を変えました。乗り物酔いがひどくて遠出などしなかったのに、柊会と聞けば、西に東にどこへでもでかけていきました。会員の主催する研修会も、一度として欠かすことはありませんでした。学校時代の友人とのお付き合いはむろん大切にしましたが、料理という共通の仕事を通じた柊会の方々との交流は格別で、母の人生観をそのものを変えたといっても過言ではありません。会員の皆さんは戦争体験者ばかりです。当時の苦労苦難を忌憚なく語り合い、涙し、でもそれをバネにがんばりましょうと励まし合う…母はすべてを私に話してくれました。
私が初めて柊会の皆さんにお目にかかったのは、高校3年の秋でした。母から聞いていましたので、どの先生方もずーっと以前から存じ上げているようでした。でも聞いていた以上に、お一人お一人がとても個性豊かで大きく見え、これからの女性の生き方を教えられる思いでした。女性分野とはいえ、それぞれ一国一城の主です。料理学校という未開地を、男性さながらの実行力で切り開いていく様は迫力がありました。それでいて、夫をたて、家庭を第一に考える優しさと奥床しさがありました。強さと優しさ、新しさと古さ、男性的かつ女性的とでも言いますか、したたかで、しなやかでした。人の話をよく聞き、自分の主張もきちんとする、だから説得力があります。共通してオシャレ、それに相当のアワテモノでしたから、表現が適当かどうか分かりませんが、皆さん、実にカワイイのです。
機会あるごとに、私は母と一緒に勉強会に出させていただきました。女子大時代、学者・研究者になりたいと思いつつ、自分の気持ちが料理の仕事へと傾いていったのは、こうした柊会の先生方のダイナミックな生き方に大いに感ずるところがあったからです。そして、この道を選んでよかったと心から思う今日です。


§【ご意見、ご感想をお寄せください。ご質問もどうぞ。】 掲示板  ichiban@kateiryouri.com


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