塩 ひ と つ ま み

■イヤな性格 

ある有名な画家をテレビで見ながら話題にしているところでした。
「すごい才能を持ってるけど、付き合いたいとは思わないな」
と主人。
天才にありがちな、気難しさを言っているのでしょう。でも、すぐに言い足しました。
「意外に気が合ったりして」
「そうよ、人間、付き合ってみなくちゃ分からないでしょ」
と私。
「人間関係って食い物と似てるところがある」
「どこが?」
「会わず嫌い・食わず嫌いはだめだってことだよ」

なるほど先入観は禁物です。見た目で決めるのも早計。会って話して、それから評価しても遅くはありません。食べ物も同じ。食べもしないで撥(は)ねてしまうのはもったいない。まず口にして好き嫌いはそのあとで。とはいえ、人間は食べ物ほど単純にできていません。摩訶不思議な存在ですから、比べるのは無謀と言うべきでしょう。部分的には似ているところがないでもありませんが。

主人は日頃から、自分は嫌いな食べ物はない、粗食に耐え得るし美食にも奢(おご)れると言って憚(はばか)りません。つまり、出されたものは拒否しないでなんでも食べ、常に感謝の念を忘れない。食材を生産する人、料理をする人、それをもてなし振る舞う人すべてに対して敬意を払うヒューマニストであるということを言いたいらしいのです。

志(こころざし)はゴリッパです。でも、実践はとても難しい。嫌いなものはなしと言いながら、本当はあるのです。ひとつは、いちご煮。青森県の八戸市と周辺の三陸海岸の料理です。子供時分、父親の実家で何度か食べたようですが、苦手のようです(因みに私は大好きです)。もうひとつは「クジラ缶」。これも小さい時からよく食卓にのっていたけれど、缶詰特有の臭みと味噌あじの絡み合いがたまらなく鼻につくと毛嫌いします(クジラの刺身は好みのようです)。
2例とも味を確かめたうえで好きになれなかったのだから、食べず嫌いではないと言い張りますが、この程度なら、食べ物に好き嫌いはないと公言しても良しとしましょう。

「人間関係って食い物と似てる」ともらした主人の言に従えば、食べ物に偏食のない自分のような人間は、人との付き合いにおいても、誰とでも分け隔てなく交際して広い人脈を築きあげることができる、そう思わせたいのでしょう。

実態はまったくの逆。交際範囲のきわめて狭い、大の偏食家ならぬ「偏人家」。ヘンジンの部類に入れたいくらいの会わず嫌いです。言うことと行動にギャップがありすぎて笑うしかありません。

この性癖は趣味にも表れています。山歩きです。今もって現役で、その登り方も独特。普通なら、あちこちいろいろな山を求めて楽しもうとするでしょうに、そうではありません。同じ山に何度でも行くのです。しかも単独で。富士山、北岳、八ヶ岳、甲武信ヶ岳にそれぞれ30回以上、甲斐駒は50回以上、茅ケ岳・金ケ岳にいたっては数えきれないと言うではありませんか。本人は自慢のようです。ま、半世紀を超える山歴があれば、そのぐらいの回数は稼げるでしょう。

「同じような山ばっかり登って面白いの?」
「同じ山でも四季折々の変化があるし、自分の体調、心の状態、そのつど違うんだ。飽きることはない」
のだそうです。

主人の価値の指標はこの「飽きないこと」。絵画や音楽、文学、風景etc. 万事において価値基準をそこに置いているようです。が、裏を返せば、かなり飽きっぽい性格。本人も、”素晴らしいと思ってもすぐに飽きがきてつまらなくなるんだ”と自己分析します。その価値観は人間にも向けられ、会わず嫌いで友達の数は少ないけど、付き合いは長くて深いようです。
会わず嫌いは、俗にいう人見知りのことです。よく言えば、謙虚で恥ずかしがり屋で優しい人柄。意地悪い見方をすれば、覇気のない面倒くさがり屋の引きこもり予備軍。

これに加えて主人には、もうひとつ衝撃的と言っていいほど重要な隠された性格があります。私はある瞬間にそれを知ってしまいました。次の会話の中でした。
結婚して、ん十年。古い付き合いです。
「ということは、私は飽きられていないってことね」
私は内心、笑みを作っていました。ところが返ってきた答えは、
「違う。諦めたんだよ」
ナント、「飽きっぽい性格」のほかに、「諦めやすい性格」が潜んでいたのです。

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【野口料理学園】

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