| 塩 ひ と つ ま み |
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道標(みちしるべ)●フジテレビの料理番組「くいしん坊!万才」が、11月をもって終了するそうです。1975年から続いた長寿番組で、50年の節目にその長い歴史に幕を下ろすことになります。当校も母の時代、8回に渡って同番組と関わってきました。私もちょっぴりですが裏方で協力しましたから、感慨無量です。
これまで歴代11人のリポーターがいました。ご一緒したのはその中の初代渡辺文雄、2代竜崎勝(3回)、4代宍戸錠(2回)、7代村野武範(2回)の方たちです。最後の村野武範さんの時は、私もアシスタントとして加わりました。1回は我が家のダイニングキッチンで、村野さんが若い助手さんたちを交えて料理談義をしているところ。もう1回は別の部屋で、男の料理教室として当時の男性生徒さんたち3人が出演。実際に調理し、出来上がった料理を談笑しながら皆さんで試食する様子を撮影しました。
母によれば、4人のリポーターの中で一番のお気に入りは2代目の竜崎勝さん。とても好感がもてたそうです。このときの撮影も私どもの自宅2階で山梨の郷土料理を紹介・解説、母と共に、なぜだか父も一緒に出演したらしいです。複数日で3回ご一緒し、そのおかげで竜崎さんとじっくり話ができて、人間的な魅力に触れるきっかけになったのだと思います。この俳優さんはテレビなどで活躍して人気がありましたが、惜しいことに44歳、これからというお齢で病没しています。
「くいしん坊!万才」は5分間の短い番組です。前後にスポンサーであるキッコーマンの宣伝が入るので、正味は3分くらいのものでしょう。それでも1本撮るのに甲府までの移動時間を含めて半日はかかったようです。
●テレビとの関りでいえば、地元の有線テレビCATVと共同で制作した番組があります。1985年です。「メニューブック」と銘打った5分間の料理番組(「メニューさん」の愛称で呼んでいました)で毎日放映されました。1回1食3品の内のメインとなる1品の作り方を見てもらい、人数に応じた3品の食材の注文を視聴者から受けて配達するという、多分に実験的なシステムです。商社の伊藤忠との共催でした。
これも我が家のダイニングキッチンを使いました。ところが、専用のスタジオではないので天井が低く、真上から撮ろうとしたときのカメラが吊るせません。苦肉の策として、角度を自由自在に動かせる大型の鏡を持ち込んで上部に設置、それをカメラで写し撮るという手法をとりました。
なにせ5分の番組の1週間分(7回)を、1日で撮りだめするという強行スケジュール。普段の授業の合間を縫って行うわけで、当時は甲府駅前にあった教室から自宅まで何度か往復するなど、8人の助手さんを二手に分けてテンヤワンヤの大忙しの半年間でした。
●常に陣頭指揮を執っていた母は、まさにエネルギーの塊でした。関東大震災のあった大正12年生まれ。この世代は青春時代が戦中・戦後と重なり、人一倍の頑張り屋です。結婚して教職を辞したあと、父の後押しもあって料理教室を開設(1951年)。以来、働きづめに働いて突っ走ってきました。
高度経済成長期、欧米の食習慣がドッと流れ込んで、日本人の食生活が大きく変わっていきました。その激流のサナカを、必死で日本人に適(かな)った家庭料理のあり方を探し求めてきた感があります。私などマネのできない、足元にも及ばない仕事人間です。 道半ばの1994年、女学校教師時代の教え子たちの招きで上京する際、甲府駅のホーム階段でバッタリ。71歳の誕生日の2週間前でした。
道半ばではありましたが、私にとっては司令塔というべき道標(みちしるべ)を無数に立ててくれたと、母の享年を越した今でも感謝の念でいっぱいです。
【野口料理学園】
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